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おかしいんだ

颯太、永眠。

突然すぎて、実感がない。
朝は普通にゴハンを食べた。
いつも通りで、何も変わりはなかった。

夜、そろそろゴハンの準備と思っていた時だった。

変な声を出してると気づいて見れば、チアノーゼを起こしているのがすぐにわかった。
もともと吐き癖のある子だから、なにかが詰まったんだろうと
そう思って

懸命に背中を叩いた。

何度も叩いた

息も、何度も吹き込んだ。

指で掻き出せないかと、暴れる颯太の口に手も突っ込んだ。
でもだめだった


信じられなくて
涙すらでなくて



颯太はとても臆病な子だった。
それでも最近はブラッシングがお気に入りで
膝の上でゴロゴロいいながら、顔を埋めてご機嫌でいてくれた。
控え目に甘える子だった。


親指に、颯太がさっき噛んだ傷痕がある。
今頃になって、少し痛い


目の前で苦しんでいる子に何もできなくて
涙すらでないなんて

どっかおかしいよ


ねえ

起きてよ
颯太



少しして
やっと涙がでた

颯太

助けられなかった



そうか、掃除機でも突っ込んだらよかったのかな

そんなことすら
思いつくこともできなかった


# by pohpohpih | 2014-10-09 00:01 | 颯太

お手紙に寄せて…つれづれすぎて纏まらない

先日、ある方からご連絡をいただいた。
それプラス自分でも最近のこととか、漠然と感じていたこと。


殿は、入院時にBUNが102、Crが11.5だった。翌日、BUNは計測不能なほど上昇。
オシッコがまったく出ず、利尿剤を使っても反応なし。そのままでは翌日にも逝ってしまいそうだった。
エコー上では両)腎臓の肥大も萎縮もなし。
両側の腎臓が一気に働かなくなったことを考えると、血栓の可能性は低い。かといって、CRFでもなさそう。おそらく、何らかの原因でARFを起こしたと考えられた。

それが何なのか、今でも分からない。


入院3日目にオシッコがようやく出るようになり、それとともにBUNも下がってきて、昨日は52まで下がった。
それでもまだ高い値だけど、とりあえず山は越えたとみていいだろう。
面会に行くと、意外なことに殿は病院の人たちにも喉を鳴らしたり、お腹を出して見せると言われた。
ゴハンも、少しずつではあるけれど食べてくれているらしい。
もう少し点滴を続けて、あとは腎機能が落ち着いてくれるのを待つだけ。


今回、最初に診てもらった時。
先生が言うように「胃腸薬の処方」だけで様子を見ていたら、おそらく殿の命は手のひらから零れ落ちてしまっていただろう。
何かおかしいと、そう感じたあの時の自分の感覚を、今は褒めてやりたい。
いつもそううまくいくとは限らないし、むしろ見当違いなことのほうが多い。
でも今回に限っては、自分の感覚が正解だったんだろう。

やっと、今回は何とか間に合った。
そう思って、不覚にも涙がこぼれそうだった。


今までに何度も何度も、「どうして気づけなかった」「もっと早く気づいていたら」「何を見ていた」と感じることばかりだった。
だから、やっとここでぎりぎり殿を守ることができそうで、安堵した。



仕事柄、いろんな人やその家族と出会う。
闘病中の人。
ターミナルの人。
みんな、それぞれが家族背景や環境で選択する手段が異なる。
医療者から見て、「もうやめた方がいいんじゃないか」「これ以上続けても、つらくなるだけだ」
そんなケースもたくさんある。
あの時治療継続を選んでいなければ、こんなに苦しまなかったんじゃないか。
もっと穏やかに暮らせたんじゃないか。
そう思わせるケースが、ここのところ続いている。


よくBSCって言うけど、どれが正解かなんて分からない。
というより、そんなものはないのかもしれない。
だからこそ悩むし、どうすれば一番いいのかを考えてもがくしかないのかな。

「死にたくない」
「つらい」
「頑張ってほしい」

どれもが理解できるそれらの想い。
でも、つらいのは誰なのかな。
その人の望みは、何なのかな。



以前、もうターミナルでBSCの人がいた。
その人は闘病中でもいつも笑顔で、家族にも医療者にも愚痴ひとつ零すことがなかった。
そんな時、ある人が聞いたそうだ。
「どうして、いつも笑っていられるんですか」
するとその人は
「だって僕がつらい顔をしていたら、みんな悲しくなるでしょう。だから笑ってるんだよ」

結局、最期までその人は笑ったままで、悲しみも怒りも見せなかった。

それがいい事か悪い事か、そんなことではなくて。
その人の生き様は悲しいようにも思えるし、立派だったとも思えるし。
でも、本当に望んでいたことは何だったのかと今でも思う。
周りのみんなが笑っていられること?
それを叶えて、その人はよかったと思いながら逝ったんだろうか。

つらくはなかったんだろうか。

本人しか、分からない。



この間、もうどう考えても治療効果は望めないであろう人がいた。
でも家族は治療継続を望んだ。
わずかにでも可能性があるのなら、頑張ってほしい。
そう願った家族。

この世に100%は、そうはない。
だから、奇跡が起こることだってある。
やらずに後悔するよりは、やって後悔する方を選んだんだろう。…っていうか、後悔すら考えたくないほど、一縷の望みにかけていたのかな。

でも結果としてそれは、逆に命を縮めて苦しませただけのようになってしまった。
最期まで、その人は苦しんで苦しんで、少しも楽になることなく逝ってしまった。



逆に、「どんな治療であれ方法があるのなら何でもやる」と自ら望む人もいる。
その人は、傍から見ていて顔を顰めてしまいたくなるくらい、苦しみぬいていた。
以前は明るく快活な人だったのに、それこそ人が変わったかのように陰鬱で近寄りがたくなった。
常に周囲を拒絶して、それでも「生きる」「死にたくない」その望みだけを必死に握りしめていた。
声すら出せない状況で、その人は最期に目で訴えかけてきた。
「死にたくない」
「助けてくれ、怖い」


たくさんの人が、目の前を通り過ぎていく。
これからも、数えきれない人が去っていく。

その度に、自分は何を想うだろう。

何を感じて、悩むだろう。



動物医療に於いて、動物はその意思表示を人間に汲みとってもらうことは、人以上にもっと難しい。
多分。多分だけど、人と違って動物はもっとシンプルに、「生きる」という目標に向かっていると思っている。
だから最後の最後まで生きることを諦めないだろうし、自分から命を絶つという選択肢もないだろう。

仮に回復の見込めない状況であったら、自分は猫たちに何を見るだろう。
猫たちは、何を望むだろう。


「どんな状態であっても生きていてほしい」
「苦しむ姿を見たくない」

それはどちらも素直な感情だけど、そこにあるのは「自分の欲求」であって、「猫の欲求」ではない。
彼らが何を望んでいるのかなんて、永遠に分からない禅問答のようなものなのかもしれない。
でもだからこそ必死に考えるし、その子にとって何がよりベターであるかを、自分の中へ問いかけるしかないんだろう。

それが結局のところ、自分の中から出てきた答えであれば「自分の欲求」に根差したものであろうとも。



お手紙をいただいて、それまでとても後ろ向きというか、やけっぱちに「頑張るしかないでしょ」と思っていたものが、肩の力が抜けたみたい。
素直に前向きに「頑張ろう」と思えた。

うん、そうだね。頑張ろう。




週明けあたりに、殿の退院目標をたてた。
若も寂しがっている。
はやく帰っておいで。

# by pohpohpih | 2013-10-19 07:16 | 雑記

腎不全

昨日、殿が嘔吐した。
もともと吐き癖があるけど、なんとなく気になった。
そして今日も吐いた。

昨日から食欲はちょっと落ちてるかなぁというくらいだったけど、これまた、なんとなく気になった。
元気もちょっとないよね。


迷ったけど病院に連れて行った。
先生からは「胃腸剤で様子をみるか、念のため採血もしておくか、どうしますか」と言われた。

気になったから、採血をお願いした。


結果は重度の腎不全。

採血とかではARFかと思ったけど、でも膀胱にオシッコも溜まってない。


ARFならいいけど、CRFだったらかなりの末期的数値。
ここ数日が山だろう。


咲が、ようやく落ち着いたところでコレだ。
徐々に年齢を重ねる子が増えてきて、これからもこういうことが続くんだろう。

なんか現実味がなくて、頭がフワフワしている感じ。



でもやっぱり、しんどいね。

# by pohpohpih | 2013-10-14 18:43 | 殿